伊藤真波さんのプロフィール!片腕が義手になった原因は?看護師やバイオリン演奏の方法

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伊藤真波さんが、「1番だけが知っている」に出演しスタジオでバイオリンを生演奏されます。
伊藤真波さんは片腕を失った、義手を付けたバイオリニストです。その演奏は人の心を打ちます。
バイオリン以外にも、看護師の経歴や元パラリンピックの水泳選手として良い成績も納めています。
プロフィールやなぜ片腕が義手になったのか、看護師の仕事やバイオリン演奏の方法、パラリンピックでの成績をまとめました!

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伊藤真波(野村真波)さんのプロフィール

名前:伊藤真波
旧姓:野村真波
生年月日:1984年10月8日
出身校:静岡市立籠上中学校、静岡県立清水西高校(衛生看護科)、静岡県医師会看護専門学校卒業
家族:夫・娘1人

職業:看護師

中学生の時には「看護師」への進路を考え、高校で実際に「看護師」になる道を選んでいます。

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伊藤真波さんはなぜ片腕が義手になったの?

20歳の時、バイクで看護学校に通う途中にトラックと衝突する事故にあいます。
一命はとりとめたものの、右腕をひどく損傷してしまい、医師に切断するべきだと診断を下されます。もちろん最初は切断を拒みます。

「無理に看護師にもならなくてもいいし、お嫁にもいかなくてもいい、一生面倒見る」と言われた真波さんも覚悟を決めたそうです。

切断しなければ命に係わると言われても、想像を絶する苦しい決断ですよね。。。
「看護師になる夢を諦めないといけないのではないか」
そして、その頃はまだ20歳。「可愛いお洋服も着られないし、温泉にも行けなくなる」とも考えたそうです。

しかし、リハビリのために関西の病院に入院中、足のない人や半身不随の人がたくましくバスケットボールをする姿を見て看護師の夢をやり直す決心をします。

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どうやって看護師の仕事をしているの?

神戸にある「兵庫県立総合リハビリテーション」で『看護師専用の義手』を作ってもらいます。

看護学校の先生には、「今諦めた方がいいのでは?」「あなたは普通ではないので断られて当然、いくつも受けなさい」と言われていましたが、受けた病院全てから合格をもらえたそうです。
22歳で看護師資格取得後し、神戸百年記念病院(兵庫区)で日本で初めて片腕の看護師になります。

肩甲骨を動かし、フックを開閉させることで点滴や注射など何でもこなせるそうです!

現在は退職し、育児をしながら講演活動をしているそうです。

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元パラリンピック水泳選手って本当?

「自分で起き上がって這い上がれる人間になりたい。嫌なこと、辛いことがあってももう言い訳しない」と心に決め、リハビリのために腕がないことを意識せざるを得ない水泳を始めます。

パラリンピック代表を目指すため勤務時間の短縮を願い出ると、職場である「神戸百年記念病院」は午後からプールに送り出してくれたそうです。

22歳の春(2008年)、北京パラリンピックに出場し、100メートル平泳ぎで見事4位に入賞。バタフライでは8位。2010年、アジアパラリンピック100m、平泳ぎ2位
4年後のロンドンでも平泳ぎで8位に入賞します。

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片腕のバイオリニスト

特注の義手を作ってもらい、バイオリンも再開します。
一体どれほどの努力をしたんでしょうか。


看護師の夢を叶え、パラリンピックにも出場、バイオリニストにもなった伊藤真波さん。
「できない」理由なんて探せばいくらでもあったと思います。
自分で「やるんだ」と強く思い「あきらめない心」を持てば、それに向かって努力すれば、できないことなんてないんですね!

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